「桃栗三年柿八年」は、桃も栗も柿も植えてから実がなるまでに何年もかかる。つまり、知恵や技術は一朝一夕にできるもんじゃない。実を付けるまでに長い年月が必要なんだから、挫折したり諦めそうになった人を励ますために使われてきたんだけど、本当はそういう使い方じゃなかったんだぜ。
江戸時代のはじめ頃の評判記・役者評判蚰蜒(げじげじ)に収められていたものなんだけど、「桃栗三年、柿八年」には「人の命は五十年、夢の浮世に、ささので遊べ」が続いているんだ。
つまり、努力は大事だけれど人の命は五十年しかない儚いものなんだから、酒も飲んで人生楽しく遊ぼうよ。という享楽的な意味で使われていたんだ。いいね!
さらに、江戸時代の後半には庶民の間で流行したしゃれ言葉「地口」(だじゃれ)になって、「桃栗三年柿八年、梅は酸い酸い十三年、梨はゆるゆる十五年、柚子の大馬鹿十八年、ミカンのまぬけは二十年、林檎にこにこ二十五年、銀杏のきちがい三十年、女房の不作は六十年、亭主の不作はこれまた一生」というユニークな地口が生まれたんだ。
意味としては、三十年もかければ桃でも栗でも、柿でも梅、梨、柚子、ミカン、林檎、銀杏など、どんなもんでも実が成るのに、女房は一人前の働きをするには六十年もかかるんだって。でも亭主に至っては一生かかっても一人前の働きをしないという。しゃれが効いてるね!
さらには、「桃栗三年」に「後家一年」を付けた「桃栗三年後家一年」という地口もある。
これは、妻を失った夫はめそめそして何年も忘れられないけど、夫を失った後家は、桃栗よりも早く1年ほどで別の男性を見つけるというしゃれだ。
女性の切り替えの早さやポジティブな生き方を表している。昔も女性は強かった。今も結局女性が強い。確かにそうかもしれないね!
私もそう思う!
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